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エッセイ「大波小波」について@季刊「能登」

季刊「能登」2017冬号が届きました。今回もまた特集が面白くて「居酒屋王国 輪島」。そうきましたかー!
輪島にロケに行くといつも期待されるのが夜ごはん。「ここは中さん、おいしいところ教えてくださいよ」となるので、案内人としては緊張するのだけれど、毎度お刺身の豪快さ、美味しさ、店の人の明るさ、なんならお客さんの明るさまでもに感激されて「ね!いいでしょー能登は」と緊張も忘れて我が物顔になっている。行くのは「新駒」か「たろう」が多い。この二店はもちろん、他にもこんなにいい店あるのかーと思いながら誌面を見ながら行きたい店が増える増える。
 さて、エッセイ大波小波も26回目を迎えました。2010年の創刊号からの7年目。30歳の時に始まって37歳になってしまったと考えるとその長さは結構重みがでてくる。
エッセイを書き出したきっかけは、30歳の夏が凄く暇だったことに尽きる。女30、ただでさえ色々と考え思い返す節目の年に夏休みですかという程、暇だった。いつもならこういう時こそ作品だーと能登に撮影に帰るところが、女30(しつこいけど)気分が違った。ごろーんとしながら、私はまだ子供だ。と、思い至った。
実際、母ではないし、だからといって子供と思ってちゃいけない年。自立して生活し仕事もし、自活しているという意味ではもうとっくに大人だけれど、この後の人生で年を重ねていったら母になる日がくるかもれないし、もっと大人になる試練がくるかもしれないし、そうしたら今はなんて奇跡的に子供してるんだと。
せっかく気づいたのだ、子供時代にしかできない事をしておこう。大人になったら忘れてしまう気に留めないようなことを今、残しておこう。子供の私が忘れたくないこととは。そして、私にしか残せないこととは。

それが、母でした。父でした。自分でした。能登でした。
写真じゃないな、言葉で残そうと思い立ち、母の歴史から父の歴史から二人の出会いまでも書き出して、途中で私が生まれ、母との南米放浪4ヶ月や欧州放浪4ヶ月、父との刻み着いてる時間、母と二人になってからの時間たちを書いていった、自分は途中から登場するエッセイ。家族はこうして丸まったり壊れたり思い出したりするんだなと過ぎたことだから見えてきた形のようなものが、大波小波の原型でした。

まだまだ続くよ、人生大波小波。

2017/2/9 我が家の猫村とつみさん

アイロンかけ、米研ぎ、カレンダーめくり、お風呂掃除、お見送りをしているのは、昨年末からうちに住む猫村さんならぬ、突み(とつみ)さんだ。突然の出会いだったから突みさん。乃波木という名を付けた母が名付け親だ。
能登にドライブに行った時に、山に囲まれたふもとのお店の軒下で雨の中でにゃーにゃー鳴いている彼女に出会った。捨て猫だった。目を合わせたらすりすりすり、カメラにまですりすりしてきて、あまりの必死な懐っこさとたどたどしい歩き方に、放っておいたら後悔するなと思い、連れて帰ってきたのでした。
まさか自分がドラマで見るような雨の中の捨て猫に遭遇して、お前もひとりなのかいと言わんばかりに助ける状況に出会うなんて思いもしなかったけれど、思い返せば昨年の10月(拾ったのは11月)、誕生日に私は100の願い事を書くことに挑戦していた。徹子の部屋で、杉山愛さんがそれを実行したら1年で7割8割叶いましたというのを聞いて、んなはずはーと思いながら誕生日だし特別なことをしようとやってみたのだ。
結果、10個まではすらすらかけても20個でもういっぱい、より具体的に書いてやっと30項目でペンを置いた。
その、1つ目が「猫が飼いたい」だった。なんでそれを最初に思ったのか突拍子もなくて自分でも分からないけれど、1ヶ月後に叶っていることが、すごい。あとの29個がふっとぶほど(いや、叶ってくれたら嬉しいけども)とつみさんのいる生活はかわいい。笑う。家事が楽しい。学ぶ。素直になる。
やっぱり、授かりものだったんだなーと思う今夜もとつみさんは私の紅茶を飲もうとしている。

2017/2/2 裏キッチン

今年から始まった料理の連載が楽しい。内容は石川の食材を具材にしたオリジナル献立(たわいない料理)を作って撮って載せている。
なにが楽しいって、料理をしていることもだけれど、さっきまでお話していた生産者さんの作った野菜というのがすごく楽しい。顔の見える食品というのは時折八百屋やスーパーでも目にするけども、話をしたとなるとまた随分安心して感謝しながら料理できるものなのだ。
写真は「加賀丸いもとろろと鰹のたたき丼」うしろは高野豆腐とカボチャの煮物。これもとても美味しかったけども夏っぽいかなと思い、掲載原稿にはのせなかった。
私は15歳で親元を離れてからずっと下宿かシェア生活か一人暮らしなので、もう随分自炊生活をしている。もはや料理は朝飯前というくらいに習慣化しているし、その日の体調や今後の予定などによって肉魚の量を変えたり、調味料も作ったり取材先で知ったおいしいものを調達したり、食べることが大好きなのでそれに対する気合いも熱い。カメラマンは体力仕事だしフリーとなると風邪を引いて休むのは自分が許さない。だから、成分なんかも考えて体調管理をしてもう20年ほどになっているわけだ。
カメラマンがなぜ料理もの?と思われるかもしれないけど、人生経験的には料理の連載をもつにはもしかしたら充分な年月料理を作ってきたのかもしれない。なんちゃって、子育てや旦那さんのお弁当を毎日作っておられる方々には到底及ばないのですが。
うちは母子家庭の時代があったりカメラマンとして食べていけない時代もあったり、いつも美味しいものを作れる環境にあったわけではなかった。大学時代は肉を買うことも滅多にできなかった。そんな中でも、母の祖父の教えで「どんなにお金がない生活でも、お茶だけはいいものをのみなさい。お茶の質を下げると、品がなくなるから」というのがあり、日本茶だけはいつも取り寄せでいい茶葉を使ってきた。豪雪の冬でもストーブの灯油代をけちっていいお茶をのむという、なんとも不器用な母娘だったけれども、いいお茶というのは味覚の精度をあげるらしい(先日初めて聞いた)。
なんかいろんなことが繋がっていくんだなあとしみじみと今日も噛み締めている。

2017/1/25 4×5inch firm brue print

大学時代の一枚。実家の屋根裏の小さな窓から4×5の大型カメラを構えて降りたての雪を撮った。今思えばいつもどこか張りつめていて、十代というふんわり見える時代ながらその中身は小さな氷の粒が詰まって冷たく光っているような、ちょうどこんな雪景色のような時代だったように思う。
amanaでアシスタントをしていた頃に、カメラマンから「自分に似たものが好きなんだね」と言われたことがある。それは撮影後に入ったラーメン屋で、テーブルの上の塩こしょうの入れ物を見た私が「これかわいいですね、すごく」と手にのせていた瞬間だった。卵形の陶器に目鼻口のような穴があいたその白いフォルムに、ただかわいいと思ったつもりが、似ているから好きなんだと言われると、急に気恥ずかしくなったのを覚えている。氷の粒時代の私は「似てないですよ」と一言返して認めなかった。かわいくないなあと今更思う。でも、真実を言われた時はそんなものだ。
今でもこの写真が好きなのは、あの頃の自分に似ているからなんだと思う。