2019年あけましておめでとうございます
平成最後の年はとても印象深い1年となりました。
夏には能登町で親子展を開催し、それに合わせて母の俳句と私の写真で綴った俳句写真集を作りました。それは思っていたよりもずっと大変な作業で、体を燃焼させるような内から出る全てを出し尽くす時間をすごしました。
秋には結婚、冬には能登の酒垂神社にて、親族や友達だけでなく地元の方々まで延べ200人近い方々に見守られての神前式を執り行うことができました。中学の同級生の子達がお花を持ってきてくれたり、金沢、東京からも沢山駆けつけてくださり、白無垢の中でこんなに温かいものかと真綿に包まれたような時間をすごしました。
一言でいうと、2018年は感謝の年でした。
今年は、まず大きな楽しみとして、念願の小説の出版が待っています。待っているというよりも去年からずっと無事に出版できるように準備を重ねています。出版予定日は3月31日、ロクリン社より出させて頂きます。
初めてなこともありますが、私の要領の悪さにもずっと丁寧につき合ってくださっている編集の中西さんには今から頭があがりません。俳句写真集の時もそうでしたが、自分の思いを形にして人様にお見せし買いたいと思ってもらえるようなものにするまでには、本当に自分の力だけでは足らず、どれだけ周りのご縁や力が支えになるか計り知れません。
小説のタイトルは「い〜じ〜大波小波」、実話を元にした(ほぼ実話です)能登移住物語でもあり家族のお話です。母・十七波さんのええー!?と思わず声がでるような子育て論や、能登のおお?という出来事、習慣、中学校での時間など、読んでいると笑いや声がでるような本だと思います。
もっと詳しいお話はまた出版の頃にさせて頂きたいと思います。
どの方もいろんな目標へ向かって進む新年、私もマイペースながらもこつこつと歩を進めていきたいと思います。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
写真は母のおせちです。今年も愛情いっぱいつまっていました。
7月22日から始まる大波小波展、フィルム作品もたくさん展示します。懐かしい写真から最近のものまで。。でも、全部懐かしい気がしてくるのは能登が私の心のふるさとであり感性の源だからなんだろうな。
7/22-7/29 能登町の天領庄屋「中谷家」にて
母と能登に移住した頃から四半世紀。15年前から毎日俳句を詠んでいる母の句を、いつか本にしてあげたいなと思っていました。17文字に詰まった日々の生活風景、季節、心、能登。
7月に能登町で6年ぶりの親子展をします。今だなと思い、俳句写真集を作りました。母の句と私の写真、イラストで綴る152頁。
17文字で語り尽くすとは粋だなぁと思いつつ、時間を重ねないと語れないものがあることを、この本を読んで実感しました。
親子展「大波小波」は天領庄屋『中谷家』にて7月22日–29日まで。10時-17時 入場無料です。
築約400年の能登の世界遺産のようなお屋敷です。
俳句写真集『寒卵プリンに生まれ変はる午後』は会場で販売の他、web shopからも予約できます。
ラジオ金沢にて毎週金曜オンエア中の「柴野大造・中乃波木 能登町ふるさと物語」内で朗読している自身のフォトダイアリーをここでもご紹介させて頂きます。
声で聞いてみたい方はぜひ金曜朝8時から、ラジオ金沢のHPからもオンタイムで聞けます。
私の宝物のとつみちゃんは、突然やってきてくれました。
それからは毎朝が笑顔で始まり、触れるたびに優しい気持ちになり、膝にのってくればどこまでも穏やかな気持ちになりました。
一緒にいた1年間は時間を何度も忘れ、ずっと幸せでした。
ある大雨の朝、ふとんに入ってごろごろいっていたのを最後に、とつみちゃんはいなくなってしまいました。
朝晩探しながらも見つけられなかったことが無念で、見かけた方から最後に濡れて倒れていたと聞いたときには、どうして近くにいながら見つけて温めてあげられなかったんだろう、撫でて安心させてあげられなかったんだろうと、毎日思います。私はどこを、何を探していたんだろう、生きていてほしい、生きてるはずだという思いが、そばにあった眠りを視界にいれなかったのかもしれません。
それでも
そのごめんねを入れても、あふれるほど注げた愛情と時間は、宝物です。
とつみちゃん、会いに来てくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。大好きだよ。会いたくなったらいつでも会いにおいでね。
とつみちゃんはいろんなことを学ばせてくれたけれど、生きていることは奇跡なんだなと、とても大切な忘れてはいけないことも教えてくれました。
写真は、一緒に撮った最後の写真です。心はいつもそばに。
ついに能登に芸術祭がやってきます。
第一回奥能登国際芸術祭、公式カメラマンとして一足早く撮影しています。長く能登を撮り続けていても、作家の皆さんの魔術により新しい表情が生まれる珠洲は面白い!作家さんにもカメラを紋所にジリジリと近づいています。撮影した記録写真は会期後に図録になりますが、本物を見に来て下さい。
会期中はインスタで毎日珠洲の風景や芸術祭最新情報をアップしたいと思ってます。すでに珠洲のいいところアップ始まってます…
奥能登国際芸術祭、会期は9月3日から10月22日までの50日間、11ヶ国39組のアーティストが参加します。
とつみLINE写真スタンプできました。40とつみです。
能登で捨てられていたとつみちゃんを拾ってから7ヶ月。まだそんなもんかと驚くほど、成長しています。
出会ったばかりの小さい小さい頃から、すっかり青春している今に至るまで、沢山の笑いと元気と幸せを届けてくれるとつみ写真でLINEスタンプ作ってみました。ちなみに、すでに父をモデルにしたイラスト「あんこうパパ」と、とつみモデルのイラスト「にゃんて奴」はスタンプになってるんですが、写真スタンプは初めてです。
LINEはほとんど使わないのに、なんでかスタンプは燃えるというよく分からない挑戦ですが、ぜひ使ってとつみさんを世界に広げてください☆
あんこうパパ
にゃんて奴
今年4月よりスタートしたラジオ番組「柴野大造・中乃波木 能登町ふるさと物語」の放送も2ヶ月が過ぎました。お聞き頂いた方、ありがとうございます。
毎回能登町ゆかりのゲストが来てくださり、とてもいい刺激と楽しい時間がスタジオに流れています。過去のゲストは松波酒造の女将・金七聖子さんや、ブルーベリーのひらみゆき農園・平美由記さん、他にも電話でも登場して頂いた方もいます。そして次回の放送では酒造りの神様・農口尚彦さんにご登場頂きます! あの能登杜氏の農口さんが?!と耳を疑うような気持ちで迎えた収録の日は、ど緊張している私に「前に写真展されてたのを見に行ったことありますよ」と温かい笑顔で声をかけてくださり「名前も書いていったんだけどね」と。あああ、、まさか、農口さんが見に来てくださったとは思わなかった。。大きな目が印象的で謙虚でにこにこ気さくに話を続けてくださり、柴野さんも熱くくいついて盛り上がりました。私からすると、お二人ともその世界の歴史に名を残す方々なので三人ともに能登町ふるさと大使だというありがたい共通点に、能登町ってすごいなあと感謝しきり。オンエアではどこのお話が放送となるのか楽しみですが、とにもかくにも人生授業のように熱ーい時間でした。農口さんの新しいお酒も楽しみです。
放送は6月2日(金)朝8時から、ラジオ金沢番組HPからもオンタイムで聞けます。再放送は6月9日(金)朝8時から。これからも多彩なゲストをお楽しみください!毎週金曜朝8時はラジオに集合〜
かわいい子には旅をさせろと言いますが、我が家のかわいいとつみさんが毎日脱走するようになりました。ただ、数時間で必ず帰ってきます。
なんで脱走する隙間があるんだと思われるでしょう。隙のある飼い主に抜け目のない猫ときたら、毎日24時間あれば必ず隙は生まれます。と言い訳しつつ、もうとつみさんの天命を楽しんでもらうことにしようかなと思う今日この頃です。
推定10ヶ月のとつみさん(捨て猫だったので正確にわからない)おもちゃで遊ぶ年は過ぎたのかなーと、寂しくなる親心ですが、脱走して心配させた日はきまって布団に潜り込んできて一緒に寝るサービスをしてくれるところが、やっぱり一味違う子だなーとなんだか妙に安心します。この知恵と気遣いがあれば、どこへ行っても生きていけるだろうと。
私も身につけたいなあ、この強さ。
あとどれくらい一緒に居られるのかなー。
5月5日の今日はこどもの日でしたね。この絵文字は、お名前絵文字でオーダー頂いた「景」くんです。4月に京都で生まれ、景と名付けられた男の子を思って描かせて頂きました。
絵本「もじもじものがたり」で展開した春の季語の絵文字もそうですが、見た人や自分も含めて、ひとつひとつの言葉からなにかものがたりを連想してもらえたらいいなと思って描いているオリジナル絵文字。
大人の方でも自分へのご褒美にとオーダーされたり、贈り物にされたりして、描く時はいつもその方の人生をイメージしながら描いています。親からの最初のプレゼントである名前というものの大切さに感謝して、絵文字を見て自分の名前をより好きになってもらえたら本当に嬉しいなと思います。
絵本について
4月8日花祭の日に出版した絵本「もじもじものがたり」について、書きたいと思います。
きっかけは、昨年末にお声がけ頂いた春ららら2017への出店でした。私の中では屋台で写真を売るというイメージがわかなくて、イラストならかわいい屋台にできるかも。とイメージできたことがはじまりでした。
海外ではよく道端で絵を売っていたり、屋台でも風景画や静物画がびっしりならんだ素敵なお店を見た事があり、あんな風に絵を売るのもいいなあと思ったことがありました。
春らららでは写真家ではなくイラストレーターの顔で出店したい。それには何か目玉商品がいるなと思い、写真集ならぬ絵本を作ろうと思い至ったわけです。いつか作りたいなと思っていた絵本。待っていても始まらない。思い切って、自費出版で自分が作りたかったものを作ってみようじゃないかと思いました。
年が明けてからはずっと4月8日のゴールに向かって絵を描いていきました。テーマは春(春らららなだけに)。私は言葉を絵にするのが好きで、絵文字といいますか文字を骨格にした絵を描いていたので、春の季語を選んでそれを絵にしてみようと思い立ちました。もじもじものがたりのはじまりです。
俳句を詠む母に、好きな春の季語はなに?と聞いてみたところ、「蜃気楼」「朧月」と、随分難しい込み入った文字が返ってきました。誰かが好きな言葉ならやってみたいと思い、描きました。それから好きな季語や友達の好きな季語を聞いたりして「卒業」「花祭」「猫の恋」「うらら」などなど増えていきました。
平仮名だから簡単かというと、そうでもなくて、骨格に沿った肉付きを実際にある動植物で見せたいので、形を見つけるまでが勝負どころです。描き上がると不思議と、なんだかその言葉の情緒にちなんだものが出てきいて、この言葉を描こうとしなかったらきっと描くことなかったなというものが出てくるのが出会いで面白いです。
一人きりで本にまとめると自己満足の独りよがりなものになってしまうので、題字デザインや編集はデザイナーの原嶋なつみさんに依頼して、人に読んで頂ける絵本作りを心がけました。
絵と写真と文字で日本語を愛でる、ありそうでなかった絵本ができたと思います。これを見て春を楽しんでもらえたら嬉しい限りです!よい春をー!
毎年お客さんとして楽しんできた春らららに今年は初出店、初絵本を持って挑んで来ました。
設営からとまどう私をずっとサポートしてくれた友達や、来てくださったみなさんのおかげで二日間とも楽しく充実した時間でした。ありがとうございます!今回頂いた意見や反応を見て、今後ももっと作っていきたいと思いました!らららの目玉商品だったもじもじさんは、今後もnohagi’s STOREの他石引パブリックさんでも購入できます。今回好評だった水彩画プリントもnohagi’s ストアから買えるようになりました。こちらもどうぞよろしくお願いします。
https://nohagi.stores.jp/
4月より新しいラジオ番組のパーソナリティをさせて頂くことになりました。我らがマルガージェラート世界ジェラート大使の柴野大造さんと、能登を食から人から風景から見つめて紹介します。ナビゲーターは綿谷尚子さん。
私は作業中はずっとラジオをかけているラジオッこ。自分が電波を通して能登を発信できるなんて夢のようです。
毎週金曜日の朝8時からの30分。能登の気持ちいい風を感じられるような番組にしたいです。
能登からのゲストや能登の偉人紹介、乃波木フォトダイアリーの時間もあります。
「柴野大造・中乃波木 能登町ふるさと物語」初回は4月7日8時から。ラジオかなざわ・ななお・こまつ。全国スマホからも聞けます。
https://www.radiokanazawa.co.jp/
3月23日 念願の絵本限定出版 春ららら
もうすぐ春ですね、春らららですね。
長い冬ごもりの間、絵本を作っていました。春の季語からうまれた絵ものがたりです。表紙は春の花、木蓮や藤、コブシなどをあしらいました。
200部限定の出版で、初めて出店する春らららで販売します。他にもイラスト、原画や写真なども販売します。こもりっぱなしで久しく会えていない方も沢山いるのでぜひ会いにきてくださいー!桜咲いてるといいなぁ
乙女の金沢 春ららら市 2017
2017年4/8(土)・9(日)10:00-17:00
しいのき迎賓館横 しいのき緑地にて
*私は6番テントです
http://otomekanazawa.jugem.jp/?eid=464
アートディレクター長友啓典さんの訃報。ご一緒させて頂いた富山や能登のポスターのお仕事の時のニコニコ顔が優しく浮かぶ。
「写真か絵か、どちらかが出来る人は沢山知っているけど、両方できる人はたぶん中さんしかいないよ。これずっと続けて」
初めて作品を見せた時に言ってくださった言葉がずっと励みになっています。忘れません。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
季刊「能登」2017冬号が届きました。今回もまた特集が面白くて「居酒屋王国 輪島」。そうきましたかー!
輪島にロケに行くといつも期待されるのが夜ごはん。「ここは中さん、おいしいところ教えてくださいよ」となるので、案内人としては緊張するのだけれど、毎度お刺身の豪快さ、美味しさ、店の人の明るさ、なんならお客さんの明るさまでもに感激されて「ね!いいでしょー能登は」と緊張も忘れて我が物顔になっている。行くのは「新駒」か「たろう」が多い。この二店はもちろん、他にもこんなにいい店あるのかーと思いながら誌面を見ながら行きたい店が増える増える。
さて、エッセイ大波小波も26回目を迎えました。2010年の創刊号からの7年目。30歳の時に始まって37歳になってしまったと考えるとその長さは結構重みがでてくる。
エッセイを書き出したきっかけは、30歳の夏が凄く暇だったことに尽きる。女30、ただでさえ色々と考え思い返す節目の年に夏休みですかという程、暇だった。いつもならこういう時こそ作品だーと能登に撮影に帰るところが、女30(しつこいけど)気分が違った。ごろーんとしながら、私はまだ子供だ。と、思い至った。
実際、母ではないし、だからといって子供と思ってちゃいけない年。自立して生活し仕事もし、自活しているという意味ではもうとっくに大人だけれど、この後の人生で年を重ねていったら母になる日がくるかもれないし、もっと大人になる試練がくるかもしれないし、そうしたら今はなんて奇跡的に子供してるんだと。
せっかく気づいたのだ、子供時代にしかできない事をしておこう。大人になったら忘れてしまう気に留めないようなことを今、残しておこう。子供の私が忘れたくないこととは。そして、私にしか残せないこととは。
それが、母でした。父でした。自分でした。能登でした。
写真じゃないな、言葉で残そうと思い立ち、母の歴史から父の歴史から二人の出会いまでも書き出して、途中で私が生まれ、母との南米放浪4ヶ月や欧州放浪4ヶ月、父との刻み着いてる時間、母と二人になってからの時間たちを書いていった、自分は途中から登場するエッセイ。家族はこうして丸まったり壊れたり思い出したりするんだなと過ぎたことだから見えてきた形のようなものが、大波小波の原型でした。
まだまだ続くよ、人生大波小波。
アイロンかけ、米研ぎ、カレンダーめくり、お風呂掃除、お見送りをしているのは、昨年末からうちに住む猫村さんならぬ、突み(とつみ)さんだ。突然の出会いだったから突みさん。乃波木という名を付けた母が名付け親だ。
能登にドライブに行った時に、山に囲まれたふもとのお店の軒下で雨の中でにゃーにゃー鳴いている彼女に出会った。捨て猫だった。目を合わせたらすりすりすり、カメラにまですりすりしてきて、あまりの必死な懐っこさとたどたどしい歩き方に、放っておいたら後悔するなと思い、連れて帰ってきたのでした。
まさか自分がドラマで見るような雨の中の捨て猫に遭遇して、お前もひとりなのかいと言わんばかりに助ける状況に出会うなんて思いもしなかったけれど、思い返せば昨年の10月(拾ったのは11月)、誕生日に私は100の願い事を書くことに挑戦していた。徹子の部屋で、杉山愛さんがそれを実行したら1年で7割8割叶いましたというのを聞いて、んなはずはーと思いながら誕生日だし特別なことをしようとやってみたのだ。
結果、10個まではすらすらかけても20個でもういっぱい、より具体的に書いてやっと30項目でペンを置いた。
その、1つ目が「猫が飼いたい」だった。なんでそれを最初に思ったのか突拍子もなくて自分でも分からないけれど、1ヶ月後に叶っていることが、すごい。あとの29個がふっとぶほど(いや、叶ってくれたら嬉しいけども)とつみさんのいる生活はかわいい。笑う。家事が楽しい。学ぶ。素直になる。
やっぱり、授かりものだったんだなーと思う今夜もとつみさんは私の紅茶を飲もうとしている。
今年から始まった料理の連載が楽しい。内容は石川の食材を具材にしたオリジナル献立(たわいない料理)を作って撮って載せている。
なにが楽しいって、料理をしていることもだけれど、さっきまでお話していた生産者さんの作った野菜というのがすごく楽しい。顔の見える食品というのは時折八百屋やスーパーでも目にするけども、話をしたとなるとまた随分安心して感謝しながら料理できるものなのだ。
写真は「加賀丸いもとろろと鰹のたたき丼」うしろは高野豆腐とカボチャの煮物。これもとても美味しかったけども夏っぽいかなと思い、掲載原稿にはのせなかった。
私は15歳で親元を離れてからずっと下宿かシェア生活か一人暮らしなので、もう随分自炊生活をしている。もはや料理は朝飯前というくらいに習慣化しているし、その日の体調や今後の予定などによって肉魚の量を変えたり、調味料も作ったり取材先で知ったおいしいものを調達したり、食べることが大好きなのでそれに対する気合いも熱い。カメラマンは体力仕事だしフリーとなると風邪を引いて休むのは自分が許さない。だから、成分なんかも考えて体調管理をしてもう20年ほどになっているわけだ。
カメラマンがなぜ料理もの?と思われるかもしれないけど、人生経験的には料理の連載をもつにはもしかしたら充分な年月料理を作ってきたのかもしれない。なんちゃって、子育てや旦那さんのお弁当を毎日作っておられる方々には到底及ばないのですが。
うちは母子家庭の時代があったりカメラマンとして食べていけない時代もあったり、いつも美味しいものを作れる環境にあったわけではなかった。大学時代は肉を買うことも滅多にできなかった。そんな中でも、母の祖父の教えで「どんなにお金がない生活でも、お茶だけはいいものをのみなさい。お茶の質を下げると、品がなくなるから」というのがあり、日本茶だけはいつも取り寄せでいい茶葉を使ってきた。豪雪の冬でもストーブの灯油代をけちっていいお茶をのむという、なんとも不器用な母娘だったけれども、いいお茶というのは味覚の精度をあげるらしい(先日初めて聞いた)。
なんかいろんなことが繋がっていくんだなあとしみじみと今日も噛み締めている。
大学時代の一枚。実家の屋根裏の小さな窓から4×5の大型カメラを構えて降りたての雪を撮った。今思えばいつもどこか張りつめていて、十代というふんわり見える時代ながらその中身は小さな氷の粒が詰まって冷たく光っているような、ちょうどこんな雪景色のような時代だったように思う。
amanaでアシスタントをしていた頃に、カメラマンから「自分に似たものが好きなんだね」と言われたことがある。それは撮影後に入ったラーメン屋で、テーブルの上の塩こしょうの入れ物を見た私が「これかわいいですね、すごく」と手にのせていた瞬間だった。卵形の陶器に目鼻口のような穴があいたその白いフォルムに、ただかわいいと思ったつもりが、似ているから好きなんだと言われると、急に気恥ずかしくなったのを覚えている。氷の粒時代の私は「似てないですよ」と一言返して認めなかった。かわいくないなあと今更思う。でも、真実を言われた時はそんなものだ。
今でもこの写真が好きなのは、あの頃の自分に似ているからなんだと思う。